結婚に意味があるか無いか分からない人へ

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性格に左右されています
結論から言うと、意味があるか無いかではなく「有ったか無かったか」と考えに至るのが普通かなって感じます。
そもそも論ですが、どうして「意味があるか無いか」を最初に思いつくかを起草したいところです。
アナタがそこに立っている事に意味があるのかどうかなど哲学者のような思考の持ち主なのでしょう。
私は考えないし、結婚している人はそういう思考はとりあえず横においていると思いますし、もし「意味がある。」と考えたとしたら「生活の為」「お金の為」「世間体の為」「親の為」なのだろうと思います。
例えそうだったとして、「意味がある無いか」と考えている人とは大きく隔たりがあって、結婚に意味があると思って実際に行動して
目的達成している点は結果出されていると評価できます。
ここまでを解釈すると察して余りあるのですが「性格が起因。」と言えます。
禅問答を脳内で繰り広げている限りは一生1人で居る事の方がより幸せであるだろうと思うんです。
行動を起こして結果を得る人と、脳内で結果を選る人の差だけだという事です。
どちらが幸せかは人それぞれでしょう。
子供が意味を見出すことが多い
このブログを読んでいる人は結婚する前から「意味が有るか無いか」を考えている人なので、子供を作る事や育てる事なんてはるか夢の話になってしまうかもしれません。
上記にあった通り、殆どのカップルが結婚に意味が有るか無いかなんて考えてしません。好きだから、一緒にいたいから結婚するというのが大半です。そう考えが至らないというのが根っこの本題部分です。
実は私も、結婚に大した意味はないと思うタイプでした。
ただ子供が出来てからは「自分が生きる意味を見出せた。」のですが。
理由は簡単で幼子は無条件に親を必要としてくれます。「死ぬから。」です。
必要とされていると眠っていた母性が引っ張り出されてしまいますので、無理やり大仕事になりますし、実際大変でしたし、その苦労たるや今までの苦悩が屁みたいに感じます。
そしてこう思うんです今までのワタシの悩み「大したことないや。」と。
子供を育てる苦悩に比べたら、独身の悩みなんて吹けば飛ぶ、と。一歩成長したと言えます?
そんな荒治療とも言える所業はまさに神が用意したもの!(笑)
修行のような日々に出会えたのも「意味が有るか無いか」を考えない行動が生んだ奇跡でありまして、
今の私なら「ゴチャゴチャ考えてるだけ時間の無駄や。」と断言してしまいますね。
自分大好きっ子さんの思考
「なんでも経験や。やっとけ。」と昔、大阪の親戚は言っていましたが、そういう事です。
だけどそれが出来ない人がまず一歩手前で「意味が有るか無いか。」と自問自答するのでしょう。
「意味が有るな無いか。」というのは「自分にとって利益は不利益か」な訳です。
つまり「不利益ならやらない。」と考えている訳です。
良い例が「ATM化とされてしまう。」「働き蜂のようにこき使われる」ではないですか。
搾取される妄想で恐れおののいているのでしょうか。

損得で考えて生きているのですか。
それもイイでしょう。そういう人もいますから。
でもね、それは若いうちの話。
40超えた辺りから「寂しいから結婚したい。」と必ずなります。
そこに搾取されるかもという恐れはなくなります。
それよりはるかに怖いのが「孤独」だからと気付くのです。
「孤独」を前にして「意味が有るか無いか」なんて考えはとうに吹き飛んでいるでしょう。
寒さで凍え始めているんです。
ここにきて初めて「ゴチャゴチャ考えるだけ時間の無駄や」の意味が効いてくると思われます。気付くのオソ。


今の人は無心で何かを追いかける野生も愛も消えています。
危機的です。
切なさや温もりという情緒を感じる20代は少なくなりつつあるんですね。
最後に
結婚するもしないも自由です。
個人の選択は自由です。
覚えておいて欲しいのは、いつか必ず誰かの手に貴方は委ねられることになるってこと。
それは誰かは分かりません。
なぜなら、独身だから。
結婚していたならば、繋がりが想像出来ますので親族とか親戚とか親とか子供とかになります。
でも独身なら、誰だか分からない、です。
老人ホームかもしれないし、雇用も年金体制も崩壊いつつありなか、どうなっているかは分かりません。

ここまで考えて結婚する人はいないと思いますが、私としては結婚した事で味わい深い人生になったなぁ、と感慨深いものです。
結婚している人と1人の人の差はこれくらいってことなんだと思います。
意味が有るか無いか、どっちでしょうか。

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