昨日もコロナ禍の中で後回しにされている「メンタルヘルス問題」を書きました。
元々孤独感を抱えている人は日を追うごとにパワーアップされている訳で、コロナ前の「利便性重視」「個人主義」が私たちを蝕んできております(ちょっとは分かっていたけれど)。
大切な心の部分を引き換えに荒んだ心でアフターコロナを迎えるのかもしれません。いや、そんなことない!と言いたい…
批判を覚悟して言わせて貰うが、昭和生まれの土臭い人達が平成・令和を果敢に生きる人達を平気で差別している。
コロナ禍でも外に出て働かなきゃいけない人達や医療従事者をバイキンを見るような眼差しで侮蔑し口汚く罵っている。
昭和の激動を生き抜いてきた先輩たちは、労いや恩赦というものをとうに忘れてしまったのだろう。
どうしてこんな事を書くかというと、この事件です。
どんな理由があっても人を殺めてはいけない。
彼が色々うまくいかなかったのは彼自身に問題があったのだと思う。
「怒り」とは元々パワーがあります、温厚な人でも積み重なってくれば温厚という垣根を軽々と越えて修羅の道に降り立ってしまう、これは誰だってそう。
怒りという感情の奥にある本心をお年寄りが察する訳ないし、時代に取り残された島で彼の仕事はそう多くないはずだと思う。
リスク覚悟で飛び出せばよかったのに。
人に心を寄せる余裕がない人達同士では防ぎようがなかった悲しい事件。
何処にも行く場所がない人達の行きつく先が見えてきて仕方がない。
「日頃の行いが如何に大切か。」これに尽きると思う。
想像力は大切だ。みんなの心が暗い時はウソでも優しい言葉を使うべき。
それにしても、この手の事件は本当に増えてきた。
親族間、お隣さん、たまたま訪れたコンビニやドラッグストアで感情を爆発する人。
人にやさしく。
自戒も込めて書かせてもらいました。